上田毅八郎の作品ページです。


世界に誇る海洋帆船画家

上田毅八郎の世界


帆船大疾走;油彩画F20号  


上田作品ご希望の方、恐れ入りますがミヤモト額縁&画廊までご連絡下さい。作品のご案内を致します。

上田作品は画伯依頼によりミヤモト額縁&画廊が販売しています。
Tel;054-366-3166

清水・ミヤモト額縁&画廊 2F画廊

上田毅八郎略歴
・大正9年8月30日  藤枝市鬼岩寺生まれ。静岡市千代田にて成長。
・昭和16年 陸軍船舶砲兵として出兵。
・昭和19年 名高きレイテ島海戦にて利き腕、右腕の自由を奪われる重傷を負い、波間に漂うも九死に一生を得る。 レイテ海戦へ向かう途中、戦艦大和と戦艦武蔵が並んでの停泊中を目撃した、残り少ない目撃生存者。  
・戦後、船舶等の塗装事業を始めると共に絵を描く決意を抱いて今日まで至っています。
・絵を描くにあたり、利き腕の右手は使えないため 左手での、はしの上げ下げの訓練から初め、絵を描き始める。 ---好きな絵が少しずつプラモデル業界に認められ、現在後進の指導にも力を入れている。
・帆船、軍艦、車、機関車、飛行機等の原画は、プラモデル箱絵以外に絵本、カレンダーに使われ、多くの人が知らず知らず目にしている作品ばかりです。85歳になる今日までに約2万枚に上る作品を手がけています。
・昭和48年 清水市ミヤモト画廊にて初めての海洋画個展を開催する。これ以後、油彩画の研究をし、イラスト画との併用活動に入る。現在: 海洋帆船画家として又、車、機関車等のイラスト画家として世界より注目されています。
・注目すべき功績は、瞼に残る、海に消えた輸送船を描き上げた事です。ほとんど資料の紛失した、目的を果たさずに撃沈された船舶を、後生に残すべしとの一念で描き上げた作品群で、波間に消えた戦友達、日本人達への慰霊、鎮魂としています。  

今日、(株)田宮模型様、(財)NHK様、民放各社様、(株)中日新聞社様、(株)静岡新聞社様、他多数のメディア及び出版・印刷業界の各位様、(株)学習研究社様、(株)コーエー出版様において上田画伯が広く紹介されております。
 上田画伯の描かれる作品の中には、振り向かれない作品が多々あります。が、それらの作品こそが、亡き戦友、日本人達への鎮魂の作品であり、後生に託したいと言うご自身の様々な思いが込められている作品と理解しています。作品としての明るさ、技術の素晴らしさとは別に、そう言う人生訓を含んだ作者である事をお伝えしたいのです。
平成28年6月18日 上田毅八郎画伯 天寿を全うし死去。 96歳。


2007年10月13日  上田作品について

プラモデルの箱絵で有名な上田さん。
その作品の何が素晴らしい!と評価されるのであろうか。
これは原画をよくよく見ないと分からない。

上田作品の持つ『線』は天才にしか描けない線である。
全くのフリーハンドで描くのである。
写真の如くとよく言われる上田作品、こういう人は絵のセンスを持たない人である。
一眼と2眼の感覚が分からない人である。
又、上田作品の凄さは『観察力』である。記憶力、想像力といっても良いだろう。

昔の帆船建造パースより船の構造を知った上での作品。
雲行きと風、波の高さと音。これはレイテ海戦まで甲板砲兵手としての経験が体に染み渡っているからこそ。である。
残された戦時中のスケッチ・すれ違う艦船、商船を見事に描いている。
色の美しさは、これこそ上田氏の気性の『激しさ』を表している。

これらは、まさに自らが絵を描く人間でないと分からない筈。それも相当なる訓練と課題を持って取り組む人間にしか分からない。

昨12日は絵の達人が申し合わせたように集まり、語り合った。
絵とは、観察から始まる個人の総合力が2次元に表現される科学である事を理解した達人達の、上田作品に対する尊敬の言葉。
この人達が語り合っている場所に偶然居合わせた人達は、目からウロコ・・が、の感覚で嬉しかったのだろう。狭い会場故、熱気ムンムンであった。

上田氏の原画に付いては今迄特に宣伝をしたこともないが、年月とは恐ろしいモノである。急速に愛好者が増えつつあるのを実感するが、反面利用を考える連中も現れ始めている。
有名になってきたことは嬉しいのだが、今迄の佳作はもう大分愛好者の手に渡り、残り少なくなってきた。
そろそろ、手元に残すべき作品も選ばなくてはいけない。
一般に知られる頃、作品は手の届かないところに行ってしまう。
89才のレイテ海戦生き残り画伯から今迄通り教えを受け、長くお世話もしたく考えている。