上田毅八郎略歴 |
・大正9年8月30日 藤枝市鬼岩寺生まれ。静岡市千代田にて成長。 |
・昭和16年 陸軍船舶砲兵として出兵。 |
・昭和19年 名高きレイテ島海戦にて利き腕、右腕の自由を奪われる重傷を負い、波間に漂うも九死に一生を得る。 レイテ海戦へ向かう途中、戦艦大和と戦艦武蔵が並んでの停泊中を目撃した、残り少ない目撃生存者。 |
・戦後、船舶等の塗装事業を始めると共に絵を描く決意を抱いて今日まで至っています。 |
・絵を描くにあたり、利き腕の右手は使えないため 左手での、はしの上げ下げの訓練から初め、絵を描き始める。 ---好きな絵が少しずつプラモデル業界に認められ、現在後進の指導にも力を入れている。 |
・帆船、軍艦、車、機関車、飛行機等の原画は、プラモデル箱絵以外に絵本、カレンダーに使われ、多くの人が知らず知らず目にしている作品ばかりです。85歳になる今日までに約2万枚に上る作品を手がけています。 |
・昭和48年 清水市ミヤモト画廊にて初めての海洋画個展を開催する。これ以後、油彩画の研究をし、イラスト画との併用活動に入る。現在: 海洋帆船画家として又、車、機関車等のイラスト画家として世界より注目されています。 |
・注目すべき功績は、瞼に残る、海に消えた輸送船を描き上げた事です。ほとんど資料の紛失した、目的を果たさずに撃沈された船舶を、後生に残すべしとの一念で描き上げた作品群で、波間に消えた戦友達、日本人達への慰霊、鎮魂としています。 |
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今日、(株)田宮模型様、(財)NHK様、民放各社様、(株)中日新聞社様、(株)静岡新聞社様、他多数のメディア及び出版・印刷業界の各位様、(株)学習研究社様、(株)コーエー出版様において上田画伯が広く紹介されております。 |
上田画伯の描かれる作品の中には、振り向かれない作品が多々あります。が、それらの作品こそが、亡き戦友、日本人達への鎮魂の作品であり、後生に託したいと言うご自身の様々な思いが込められている作品と理解しています。作品としての明るさ、技術の素晴らしさとは別に、そう言う人生訓を含んだ作者である事をお伝えしたいのです。 |
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平成28年6月18日 上田毅八郎画伯 天寿を全うし死去。 96歳。 |
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